地震と建築構造法規は追いかけっこ(15.8.3) (16.10.30追加)
大正12年(1923)、関東大震災が起こりました。
その翌年、大正13年(1924)に「市街地建築物法」が大改正されました。
都市の建物の不燃化(鉄筋コンクリート造等)や、地震のように横から力が加わる場合の
建築構造計算方法の始まりです。(佐野利器による設計震度の考え方の採用)
簡単にいうと、(建物の自重+乗せている物の重量)×0.2の力が横に働いたときも安全な構造計算
その0.2の割合のことを設計震度という
耐震設計(主に鉄筋コンクリート構造)については、
現在の計算基準の原点となるものの初版が昭和22年(1947)に発行され、今日に至っています。
(日本建築学会武藤清らのよる鉄筋コンクリート計算基準)
「市街地建築物法」は、昭和25年「建築基準法」に大幅に衣替えし、その際に適用範囲も
日本全国一律となりました。
木造では、地震力に対抗する筋違等の必要数量を定める「壁量規定」が制定されました。
この壁量規定については、昭和34年(1959)、昭和56年(1981)に改正強化されています。
昭和39年(1964)に新潟地震がありました。
この時に注目されたのが、水分を多く含む砂質地盤の液状化現象です。
地震によるこの液状化現象により、4階建の建物がそのまま横転するなどの被害が発生しました。
本題からそれます。
この液状化現象が過去に起こったことが、滋賀県今津町北仰西海道遺跡で初めて確認されて
います。水平な地層の重なりを突き抜けて、液状化した砂が垂直に吹き上げている地層の部分が
確認されたのです。
この事は、文献でしかわからなかった過去の地震を、科学的に確認できる手段が発見された、
画期的なことだったのです。
そして、有史以前にも地震の歴史をさかのぼることができる、地震考古学の端緒となったのです。
またちょっと話がずれます。 活断層の地震確率なんて、意味がありません。
「地震考古学」等でわかってきた断層の正確な年の履歴などから、その確率を予測しているのです。
プレート型の地震と異なり、活断層の活動履歴は、数百年~数千年単位
その断層の履歴から今後の確率をはじき出しているようです。
単純にいえば、ちょうど500年前と1000年前に断層が動いているから、
今度動くのは今年あたり?ということです。
モノの本を端っこから読んだだけですが、その中には「活断層の活動が1回だけ確認されている」
活断層でも周辺の履歴やイロイロな原則等からの推測として、確率が数字で書かれていました。
それらの〇〇%という数字は、百年を単位して考える土木工事の設計の資料や統計的に
計画 しなければならない行政や保険業界には有用なことかもしれませんが、
大人になって家をどうこうできる歳から死ぬまで約50年の人間にとっては、
何の意味もない数字です。
実際、阪神淡路や新潟の中越地震では、
地震が起こった後に活断層が確認されたりしています。
本題に戻って
その後、昭和43年(1968)、初めて、鉄筋コンクリート造の建物に大きな被害が報告されました。
十勝沖地震です。この地震は、現在の新耐震構造基準の出発点です。
それ以前にも、大きな地震はあったのですが、
この頃には、全国津々浦々に、学校等公共建築物の鉄筋コンクリート化が進み、
どんな地方でも、地震被害のサンプルが取れるようになっていたのだと思います。
鉄筋コンクリート造の1階ピロティ柱の破壊と、短柱の剪断破壊が注目されました。
昭和46年(1971)には、その被害状況から建築基準法の一部が緊急的に改正されました。
鉄筋コンクリート柱の強度向上が主です。
木造では、基礎を連続のコンクリート又は鉄筋コンクリートのすることになりました。
昭和53年(1978)には、宮城県沖地震が発生しました。
この時のブロック塀倒壊による死者がでたことで、
ブロック塀に鉄筋を入れることが法制化されました。
しかし、塀については、建築物のように、事前にその計画を役所に提出する義務もなく、
又、それを作るのに法的資格が必要なわけでもありませんので、
その法律がどれだけ有効に働いているかは、疑問が残るところです。
その後、昭和56年(1981)に建築基準法の耐震基準の大改正がありました。
これは、十勝沖地震から始まる地震被害の研究、
そしてもう一方で超高層ビルの構造計算の研究、などの成果を土台としてなされました。
これが現在の新耐震基準です。
そして最近では、平成7年(1995)に阪神淡路大震災がありました。
欠陥や手抜き工事以外では、昭和56年(1981)以後に建築したの建物に大きな損傷はなく、
56年の法改正の正しさが証明された形となりました。
しかし、木造の小規模な住宅については、かなり被害が出ました。
それ以前の法改正でも木造の建築法規について少しずつ改定されてはいました。
しかし、過去何百年と続く従来からあった木造の建築技術や、それを支える膨大な零細企業である
大工の経営への配慮からか、それほど細かい数量や仕様の規定が建築基準法になかったことも
事実です。
その木造の部分の規定が、この地震によって考え直されました。
鉄骨や鉄筋コンクリートの構造計算手法を元に、木造の建物の強さを評価する方法が、
建築基準法に導入されたのは、平成12年(2000)の建築基準法の改正からです。
そこでは、耐力壁の配置のバランスや、柱梁を接合する金物についても細かく規定されています。
また、工事の欠陥を無くす為の規定の盛り込まれました。
住宅金融公庫の中間検査は従来から実施されていましたが、一般の建物でも中間検査を
実施することが法律に盛り込まれました。
高島郡内では、平成15年(2003)4月から、その規定を受けて、100㎡以上の建物については、
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