住まい、棲み家
近所に住む亡父の同級生がまた一人亡くなられた。
朝参り(というのかわからない)で、ご自宅で手を合わせてきた。
ご遺体は、最近のことだから農協経営の葬儀場にあるので、
お仏壇にそれなりの簡素なしつらえがされているだけだった。
ふと、父の言葉を思い出した。(昭和50年代)
二十歳過ぎのヒヨッコ設計士の私に、父は
「輿(コシ-棺を親族で運ぶための道具)が通らんような家の間取りではあかんわい」
と、田舎の家の図面を書くときによく言ってた。
結婚式が家で行われなくなり、
もう最近では、この田舎町でもご自宅でのお葬式はまれになった。
家が、「ハレ」の場として(葬式がハレの場といういい方は変かもしれないが)
儀式ばった「正式」な場として機能する必要がなくなって久しい。
家が、完全に「巣」化してしまったなー、と思う。
「住まい」じゃなくて、快適ではあるけれど「棲み家」
を作ってきたんだと、感じました。
昔のちゃんとした家は、家の中に、イベントが出来る装置が備わっていました。
座敷、五客・十客揃えの、皿椀鉢物や漆塗りの脚付きのお膳、座布団
季節や行事毎に取替えられる掛け軸。
そんな、装置と小道具によって、ハレの舞台が作ることが出来る。
そういうこと全体が「住まい」なのではないか。
「居住まいを正す」という言葉の中に含まれる「住まい」という感覚を
もう少し現代の家に取り入れる必要があるのではないか。
家は、家族だけのもの、付き合いの場は全て外部の専門的な場所へという
現代の生活形式の潮流に一抹の寂しさを感じました。
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◎06/08/16 住まい、棲み家-KB邸7
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