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2004年10月31日
豊岡の水害で思いを新たにしました(H16.10.31)
S51(1976)長良川水害当時、岐阜で学生生活していました。
降雨当日昼、いつもサンダル履きで往復していた校舎から学食への百メート程のアスファルト舗装の道が、みるみる川のようになり、歩いているとすぐに、くるぶしあたりまで水に浸かってしまい
これはただ事ではないと思いました。
2,3日臨時休校となり、翌日に近くの揖斐川を見に行きました。
いつもは、畑や河川敷のグラウンドがあるところが水に浸かり、
大きな土手のすぐそばまで一面の川幅となった光景は、
「もう少し降ったらどうなっていただろう」という恐れと共に、目に焼きついています。
水害にあった先生のお宅の掃除に行きました。
そこで感じたのは、市街地の水害というのは、
川の水も、下水の水も全て混ざってどこもかしこもが、ドブのにおいに充満しているということです。
先生の大事になさっていた、数百枚のMODERNJASSのレコードの
ドブくさくなったジャケットを一枚々々はがして、本体を水洗いした思い出があります。