大溝陣屋総門 保存整備

近世の城下町を窺わせる貴重な遺構
場所は高島市の南、旧大溝町、現在は高島市勝野。
織田信長の命により築城された大溝城(天正6年(1578年))の近くに位置します。
高島市指定文化財でもあり、国の重要文化的景観として選定された「大溝の水辺景観」の構成要素の1つでもある建物です。
元和5年(1619年)に分部光信が入封し、20年程で取り壊しとなった大溝城の跡地に陣屋を構え、大溝の城下町整備を行いました。
時は下り、その城下町に整備された武家屋敷群の正門として建てられたのが大溝陣屋総門です。

棟札から宝暦5年(1755年)11月23日上棟とありますが、こちらは修理時の棟札とも考えられ、移築されたものか、転用材にて建てられたのか等は分かっていません。
明治時代に民間に払い下げられ、近年までは長屋のように西と東の建物で所有者が別れていました。
以降は増改築を重ね、東は住居、西は駄菓子屋として使われていたり、屋根の形も変えられ、建立当初の姿を留めている部分が少なくなっていました。
平成13年(2001年)に当時の高島町の指定文化財となり、平成16年(2004年)に東西の建物、土地ともに買い上げがなされ、現高島市の管理となりました。
最近までは観光案内所や、大溝まちづくり協議会の事務所等として利用されてきました。

工事前の状況 写真下が北 Google Earthの空撮を筆者加工

工事前 Google Earthより

※北から見た工事前の状況
持ち主が東西で違ったこともあり、写真右の方は新しい瓦が葺き替えられていました。

※南西から見た増築された部分
元の姿が想像しづらいと思います。

※南東から見た増築された部分
こちらも元の姿は全く映らないほど手が加えられていました。
2015年の有識者の調査を経て、できるだけ建立当初の姿に戻しつつ、文化財保存、情報発信施設として活用するという方針で2022年から保存整備工事が行われることとなりました。
総門の保存修理、観光案内所、資料展示スペース、公衆トイレ、事務所、倉庫が要求されました。

北から
中村貢『大溝郭内の話』に幕末生まれの老人からの聞き書きとして、総門左右には高い板塀があった、とあります。
そういう記述もあり、門であったことを強調することが必要と考え、”らしい”佇まいの塀の意匠として再現しました。
ただし、やはり記録としては不明確なこともあり、総門とは接続していません。
北から かつては門扉があったと考えられますが、記録が残っていないため今回は復元していません。
潜り戸も記録は残っていないのですが、こちらは塀と同じく”らしい”佇まいや金物の意匠で再現しています。
門柱や板壁は全て欅です。既存の材に似た色が育つ産地から選んだ材料です。
南から 象徴的な寄棟屋根が復元されました。左右(東西)にそれぞれ部屋があります。
できるだけ残す、復元と再現
東側 新しい屋根瓦と当初からの梁、柱 傷んだ部分や、増築によって加工された穴に埋木がされています。
文化財の修復は、原則として部材はできるだけ残しますようにします。
事前の調査書で腐朽した部材や取り替えるべき部材は示されていたので、それをベースに設計しました。
もちろん工事をしてみないとわからない部分も多く、工事中にも設計と変更された部分もあります。
少なくとも250年以上を経た建物ですので、いつ手を加えられたか不明な部分も多く、何が”オリジナル”かは判断も難しいのが正直なところです。
つまり、明らかなところは復元、わからないけどあったであろうものは再現、として表れています。
ですから上で紹介した塀や潜戸は復元ではなく再現です。
西側 後世の増築によって垂木や梁を接続するための加工跡に埋木がされています。建物の歩んできた歴史を感じられる痕跡です。
出桁と腕木 追掛け大栓継ぎで継いだ出桁
天井板は反りや割れが多かったため新しい板材に替えています。
建具は全く残っていませんでしたので、全て”らしく”見えるように再現した新設のものです。
差鴨居は残っていましたが、敷居は新設。
東側 敷居は欅で新設、杉の柱には根継がなされています。
石畳はいつのものかわかりませんが、わからないものはわからないまま残しています。
もしかしたら建立当初のものかもしれませんので、残しておくというのも文化財修理の考え方です。
桧の鎧板張りの外壁 当初の材はそのままですが、更新材は古色塗りを施しています。
面格子窓 建具と同様に全く残っていなかったため、新しく再現しました。
武家屋敷地の西門(と云われる)が今津に残っており、そちらを参考に設計しました。
面格子窓 全て桧です。
東部屋 資料室展示室して使われています。床は桧です。
近世は現代ほど明るくなかっただろうと考え、燭台をイメージしたスタンドライトを採用しました。
既製品のスタンドライトの足元に杉でつくったカバーを被せています。
集会等の利用もあるということで天井照明も設けています。
建具は杉です。ガラス障子は時代を考えるとありえませんが、屋外に面する部分に和紙ですとメンテナンスが大変なのでガラスとしました。
格子窓
※資料展示の様子
大溝城の映像展示や鴨稲荷山古墳の資料等もあります。
※西部屋 観光案内所として利用されています。
こちらは床が張られていたか不明なこともあり、コンクリート土間の床です。
西部屋の小屋組
梁や小屋組の多くの部材は、傷みや増改築での紛失等で交換せざるを得ない状況でした。
西部屋では構造ががわかるように天井を張らず、小屋組を見せています。
垂木の上に、クサビ型の部材を挿入することでむくりのついた屋根になっているのがわかるようになっています。
丸みのある梁は現在なかなか入手し難い地松です。
瓦は全て新しいものにし、屋根の軽量化のために乾式で葺いています。
残っていた瓦を元に、分部氏の紋の入った鬼瓦や軒瓦の小口の柄等を復元しました。
“広くない広場”をつくる
付属棟(公衆トイレ、事務所、倉庫)(左)と総門(右)
古くからの文化財ということで、文化庁や市役所だけでなく、官民の関係団体も多く、様々な話を折衝して設計する必要がありました。
敷地の広さは決まっていますし、総門の位置はもちろん動かしません。
その制約の中で、公衆トイレや事務所をどう配置するかが大きな課題でした。
文化財として修復された後もさまざまな場面で利用しやすい場となるために提案したのが、公衆トイレ、事務所、倉庫を1つの建物にまとめて敷地の西側に配置、総門の南側には何もない場所、つまり広場をつくることでした。
総門南側の”広くない広場”
大溝は近世以降の町割りが残ることもあり、誰もがアクセスできる公共的な場があまり無い地域でもあります。
そういう地域にボイド=広くない広場があることで人の溜まりや催し物ができる場所が必要と考えました。
同時に総門そのものを視覚的に邪魔をしないことも大切にしました。
外構の土系舗装は透湿性が高いタフコートG5を採用しました。三和土っぽい色にし、自然素材でできた建物に調和するようにしました。
※『おひろめマルシェ』(2024年6月15日) 実際に地域の人が集まっている様子を見てほっとしました
24m×4mと決して大きな広くはない広場ですが、イベントができ、交流が生まれる場として、そして総門が多くの人の目に触れ続けることを期待しています。
平面図
屋敷が立ち並んでいた密度感、”らしさ”も考え、トイレ、事務所、倉庫をL型のプランで1つの建物にまとめ、総門に近接させるように付属棟を配置しました。
付属棟 一目で総門とは違う建物であることがわかるようにしないといけないという条件がありました。
外壁には高島で多く見られる焼杉板、蟻壁部分は漆喰塗とし、”普通”な建物としました。
木造在来軸組工法、躯体はプレカット、地場の大工で建てられる設計にしました。
トイレの前は屋根が密集し合う坪庭のような空間です。
外壁を塀の意匠にし、内側はトイレとしています。
バリアフリートイレ 天井は化粧野地板、床と腰壁はタイル貼り、壁は桧合板に木材保護塗料塗布。
総門右の塀がトイレの外壁になっています。
水場 広場の南東側にあります。現在も大切に使われている山から引き込んでいる水道と湧き水を紹介しています。
手をかける
地域の象徴として待ち望まれた総門の復元。
高島市内の業者も多く関わっており、現場で時間をかけて作業されていました。
※今工事で更新された部材には焼印が入れられます。
※竹小舞 屋内は中塗り仕上げです。
※元々の土壁は剥がして、今工事で再利用しています。
写真は荒壁用の土。藁を入れて1ヶ月寝かせた土に、塗る直前に再度藁を入れて混ぜます。
配合等も調査書を元に設計段階で指示しています。
信州まで土を採りに行ったりし、仕上がりを確認するためにいくつか土壁のサンプルをつくって進めたそうです。
※土を混ぜて渡す人、塗る人と別れて作業していました。
土さしで混ぜて、鏝板に投げる、それを塗る、をひたすら繰り返します。
荒壁の土は、発酵した藁の香りなのか独特の香りがします。
※荒壁の左官の様子
今は少なくなった高島市内の左官屋ですが、総門の左官工事は今津の御牧左官さん。
蔵の補修等での土壁塗りはありますが、竹小舞を編むところからというのは最近はなかなか無いそう。
※柱の際には布連という部材を打ち付けます。土壁の収縮等での隙間を防止します。
内部はこのあとに中塗りをして終わり、外部は更に漆喰が塗られます。
※東部屋は桧の床板を張っています。
電動工具を使わずメカス釘で留め付けています。
総門の建具は今津に工房のあるマキノ工芸さん。
潜戸の八双金物 京都の室金物で特注されたもの。
※正門の敷居は新しい材を入れましたが、傷むと取替えが難しいため、敷居と同じ欅でつくったカバーで保護しています。こちらは設計していないのですが、工事会社である澤村さんのご厚意で作成されました。
礎石などの石は高島の中村石材さんによるもの。既存と色の合う花崗岩を選定したそうです。
このような大きなサイズを近年は探すのが大変だったそうです。
※部材を留め付けるのは頭の丸くない和釘
※経年で捻ってしまった腕木に合わせて更新材の出桁を納めています。大工さんの手のかかった仕事が窺えます。
足をお運びになった際は、時代の足跡でもある補修のされた様を探してみて下さい。
設計に1年、総門の修復工事に1年、付属棟と外構の整備工事に1年、計3年にわたる事業でした。
総門工事は1年の間に木(欅や地松等で一般的でない寸法の市場に出回りにくい材料)や上に記したように石を用意したり、柱を全て据え直す等、様々な困難があった工事だったと思います。
今回の事業で、総門がまた何世紀も残ると思います。
そのような建物に携わることができ、未来と過去をつなぐような貴重な経験をさせていただきました。
撮影:オザキマサキ ※ほんだ建築が撮影
参考リンク
高島市公式HP:https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/kyoikusomubu/bunkazaika/3/1/10978.html
重要文化的景観「大溝の水辺景観」について:https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/kyoikusomubu/bunkazaika/1/1/1327.html
広報たかしま:https://www.city.takashima.lg.jp/material/files/group/11/R6040607.pdf
NHKニュース『江戸時代の姿に復元 滋賀 高島 “大溝陣屋 総門”』(動画もあります):https://www3.nhk.or.jp/lnews/otsu/20240401/2060015595.html
- 所在:
- 滋賀県高島市勝野1688
- 敷地面積:
- 310.32㎡
- 延床面積:
- 総門:41.74㎡ 付属棟:37.20㎡
- 構造階数:
- 木造平屋建
- 設計期間:
- 2021年7月~2022年2月
- 施工期間:
- 総門:令和4年7月13日~令和5年7月31日 付属棟:令和5年8月~令和6年3月
江戸時代の城下町に整備された武家屋敷群の正門として建てられた大溝陣屋総門。
保存整備事業として、高島市の入札にて設計を受注しました。
工事関係者は以下のとおりです。
発注者:高島市
総門、及び付属棟設計:㈲ほんだ建築
総門
工事監理:㈱木津建築設計工房
工事:㈱澤村
付属棟
工事監理:㈲ゆー空間建築事務所
建築工事:樽野工業㈱
電気設備工事:㈱馬場電気工業所
機械設備工事:大塚工務店㈱
