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日常使いのコーヒーカップ

安物のいつも使っているコーヒーカップのことについて

いつもこのコーヒーカップを使っている。
安物の大量生産のプリント柄の少し大振りのカップである。
これに普段はインスタントコーヒーにミルクを入れて、
少し気分を変えたいときには、ドリップでコーヒーを入れる。
そんなに器に趣味があるわけではないのだが、これにすることになる。どうしてかと考えてみた。

080505cup01.JPG

◎大きさがいい。仕事中ワリとがぶがぶと飲んでしまうのだが、
小さすぎて、もうなくなってしまったという感じでもないし、
大きなマグカップのように、要らなくなってしまって、
気が付いたら、冷えたのが底に残ってしまっているということもない。
胃の満足する大きさと合っている ような気がする。

◎取手が普通。変にデザインされていて人差し指が入りにくいようなものはキライなので。

◎つるりとしている。創作カップなどで、
備前風や信楽風で土のザラザラ感が唇に当たる感触はあまり好みでない。
普通がいい。

◎縁の厚みがちょうどいい。
マグドナルドのコーピーカップのように、あまり分厚いやつが、どうも唇とのなじみが悪い。
有田焼の磁器のように、あまり薄すぎるのも日常に使うには上品過ぎる気がする。

◎最後の一滴がうまく飲める。
筒型のデザインのコーピーカップは、そうとう傾けないと最後の一滴が飲めない。
ティーカップのような形のものは、
最後と思って何気なく飲もうとして傾けすぎて唇からあふれてしまったりする。
カップの下のすぼまり具合が、自分の飲み方に合っているというか、
このカップでの飲み方を知らず知らずのうちに、自分の標準にしてしまっているのかもしれない。

◎嫁さんが買ってきてくれたから。身の廻りのものを自分で揃えないたちである。
ただ、嫁さんに聞くと、「似合うと思って買って来たのにちっとも着ない服がある。」
こともあるそうである。

ちょっと、カップを眺めながら思い付いたら
自分の設計する際の考え方と通ずるものが多いような気がしたのでまとめてみました。

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以下、私の仕事のコマーシャルです。
木のコースター、ドイリーを販売することにしました。(MYブログ08/04/17)
   カップの写真の下の木が、米松(ピーラ)柾板のコースターです。
住宅・セカンドハウスは、随時ご案内(室内も)出来ます。(インフォメーション08/02/11)
 
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知恩院のモニュメント

先日、近所のお坊さんが、総本山知恩院で
法然上人の御忌(ぎょき)法要の唱導師をするという大役があたったということで、
市内の浄土宗の信徒が、団体でバスを何台も連ねてお参りしました。
「たいそうなことやな、そんな大仰なことなのか。」
とは思いながらも、今までは全て親任せ、亡くなってからは
こういう行事は初めてのことだったので、訳もわからずついて行きました。
070417chioin.jpg
写真は、お寺の向かいある合掌の形のモニュメントから山門を写したものです。
「ただ、往生極楽のためには 南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと
思いとりて申すほかには、別の仔細そうらわず」(法然上人一枚起請文より)
という、念仏することが本旨という浄土宗の教えをカタチにした、
いい現代風のモニュメントだと思って作者を調べてみましたが、わかりませんでした。

法要は大そうなものでした。
知恩院の御影堂(みえいどう)という一番の大きな建物の内陣の本尊のまん前に
その近所の坊さんが、
その左右両脇にそれぞれ100人づつほどのお坊さんが着座し、お経を唱えると、
それは荘厳な雰囲気でした。
父と田舎町の政治談義をアテにを酒を酌み交わしていた近所のお坊さんも
偉いもんにならはったもんやなー、と感心してしまいました。
最後に、いつも法事などでいつもある、
「勧進(かんじん)の施主(せしゅ)は、○○一郎及び○○家先祖代々、」
というのが、外陣に参拝している数百人全てに対して延々と唱えられ、
自分の名前が呼ばれた時はそれなりに嬉しかったのですが、その長さには閉口しました。
その日、一日は敬虔な浄土宗信徒になった気分でした。

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ガソリンスタンドがオブジェに

近所のガソリンスタンドさんが廃業されてしまいました。廃業して間もなく、
エネオスの大きな文字とオレンジ色のストライプが真っ白なペンキで消されてしまうと、
その物体は見事にオブジェに変身しました。
070413gasstasion.jpg
白く伸びたキャノピー(ガソリンスタンド上屋)、
独立した真っ白のブロック塀、4本並んだ通気パイプ。
それらの清々しい雰囲気は、近代建築黎明期のリートフェルトの作品、シュレーダー邸
屋根や壁、手摺の鋼管のイメージと重なりました。
「物に通俗的な意味が消されてしまうと「ゲージュツ」に生まれ変わるよなー。」
と現場へ行く車中で同意を求めると「ソウデスネ」と納得した様子。
シュレーダー邸かどうかは別にして、その物の発する何かを似たように感じていたらしい。
その何かとは、
小便器を横において展示した作品、デュシャンのレディメイド「泉」と共通するものだと思う。

(追記)シュレーダー邸の解説を読んでいて驚いた。あの小品が世界遺産だという。
それなら、コルビュジェ・ライト・ミース・グロピウスなどが遺した近代建築の有名な作品は、
どれもこれも世界遺産にしなければならないような・・・

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クリエイトとは後衛の建築家

世の中は、才能のある人ばかりではない。
いや、ホンの一握り以外は凡人で、その集団が実際は社会を動かしている。

吉田研介という建築家がいます。
その方が編集された、建築知識別冊・建築ノート1・デザインテクニック
という本の前書きにこのような文章が掲載されていました。
(79年発行の本なのでもう絶版になっています)

・・・スポーツでは、守備の位置で前衛とか後衛とか言うが、
芸術の世界では、後衛ということはあまり言わない。
建築家でも前衛と言えば何人かが思い浮かぶが、
後衛の建築家は誰だろうと言われてもピンとこない。・・・
・・・スポーツでも前衛というのは、守ることより攻めることが役割であり、
少々無茶をやっても、進んで攻めなければならない。・・・
・・・私は、後衛の建築家をこう考えている。
それは、毎日着実な手法と定着した価値観に基づいて建築を作っている人たち、である。
新しいものに向かって仮説を立て、提案を試みようとする前衛の建築家に対して、
既に検証済みであるか、あるいは、少なくとも世に発表されたものを見て、
それを受けとめる形で自分も応用してみようとする建築家、
私はそれを後衛の建築家と呼ぶ。
ところで、着実とか、定着したと言っても、惰性や慢性とは区別しなければならない。
うっかりしていると、
着実で定着したと思っているものが、惰性や慢性に陥っていることがある。
何も、常に新しい提案を皆がし続けることはない。
しかし、前衛が切り開いた道を辿るにしても、適切な応用と正しい理解を怠けて、
表面的なものにだけの追随をしたのでは、惰性や慢性に陥る。・・・

この一文は、才能あるクリエイター(ここでは前衛の建築家)とは異なる、
一般の人間(ここでは後衛の建築家)のよって立つ位置を明確にしてくれます。

何かすばらしい未知なる物を作らなければならない
という強迫観念のようものにさいなまれていた、
若い当時の私に、大きな安心と明確な指針を与えてくれました。
そうだ、有名建築家だけで世の中全部の建物なんて建てられない。
「着実な手法と定着した価値観」でこつこつと創り続け行けばいいのだと。
そして、「惰性や慢性に陥る」ことのないよう、気を付けながら。
それは例えば、宇多田ヒカルの歌詞に感じたように、
常に新しい良いものに感動する心と、何がどう良いかということの分析を、
建築に対しても、持ち続けていくことだと思う。

才能・クリエイトとは No1 宇多田・賛(MYブログ07/3/20)
才能・クリエイトとは No2 脚下照顧 (MYホームページ建築つれづれ草より)
才能・クリエイトとは No3 妻に叱られる(MYブログ07/3/21)

 

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国連本部

近頃、時節柄国連本部がよくTVに映る。
アレはコルビジェ(建築を志す人は必ず知っている建築家)の作品。
そして、政府の高官がインタビューを受けている後ろには、
ちらちらと、モノクロームのピカソのゲルニカの壁画(説明画像)が見え隠れする。
あの絵を見て、みんなが「正しい」決断をしてくれればと願う。
それは「正義」の名の下の行動ではなく、
対立する全ての人々の最大が平穏無事な生活を送るための手法であるべき。

建築より絵画の方が世界に対する波及効果は大きいのかもしれない。
建物で、あのメッセージは伝えられない。

 

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安曇川「たいさんじ風花の丘」オープン

安曇川「たいさんじ風花の丘」オープンという記事がありました。
高島市安曇川町田中泰山寺のこのあたり
高島市食と農の交流施設「たいさんじ風花の丘」という施設が
7月15日(土)にオープンするそうです。

こんな建物です。
写真の出典は、湖西・森と里と湖のミーュジアムミュージアムブログ【本館】です。

P1030197.jpg

市の事業自体については何ら不満もあるわけではありませんが、
どうしてこんな建物になってしまうのだろうと思いました。

◎多分4~5年もすれば、壁の上の方から、雨と埃による汚れが付き、
 みすぼらしくなってしまうのが目に見えている、形態と色彩。
◎看板や案内表示一つ、貼り付けてしまったら、
 すぐにみっともなくなるような、洗練されすぎたデザイン。
◎このような形を木造で作ったら、どこかで雨漏りがしそう。
 木造は風や地震・積雪などの外力や、気温などの環境の変化により、
 変形を繰り返します。変形の繰り返しによる亀裂が雨漏りを発生させます。
 その繰り返しの変形に耐える「形」が、木構造の建物には求められると思いますが、
 この建物の「形」は、一見した所、
 それらに対して安全な「形」にはどうしても見えません。

公共の建物なのに、なんでこんな形を作ってしまうのだろう。
設計者のデザイン力があることはわかりますが、
今後長きに渡って風雪を耐え忍ばなければならないものに、
原寸大の模型のような建物を作ってしまってことに、疑問を感じます。

一般的な話として、ある一面では、公共が若手のデザイナーのパトロン的存在となっている
ということがあります。
そこから、大きな建物を手がけられるようになった建築家も多いのではないかと思います。
でも、その残された建物には、未熟な部分が残ってしまい、メンテナスに苦労するという話は、
そこココで聴かれます。

公共の建物は、新築する時は、色々な補助金などを使って、事業費が出ますが、
なかなかメンテナス費用が出ません。
民間なら、利益が出れば、そこでメンテナスをして継続する、
出なければ、細々と営業しつつ最終的には閉店、ということになります。
しかし、公共の場合、例え利益が出ても、それは運営者の利益であり、
そうなれば地域の活性化に寄与した建物ということにはなりますが、
それを「メンテ費用として積み立てる」というお金の流れにはなりません。
メンテはまた市で予算を組んでという話になるのです。
そして、このような金額の建物は、野菜を売っているだけでは、
多分、普通の会計でいう「減価償却」すらままならないはずです。

ですからなおのこと、メンテナスフリーに近い建物を作る必要があると思うのですが・・・
最後になりますが、出来たからには、繁盛することを祈念いたします。

メンテナスフリーについての関連記事 自慢話を一つ-マキノ駅前駐輪場
「現代建築」の形についての関連記事 渡辺篤史さん

 

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渡辺篤史さん

昨日、安曇川流域・森と家づくりの会が主催するイベントに行きました。
メインは、TV番組「建もの探訪」でおなじみの渡辺篤史さんの講演会です。
なんといっても第一声、響きのいい声に驚かされました。
TVと同じような軽妙な語り口で楽しく聞かせていただきましたが、
一般の予備知識の多くない人に向けて、建築の良さや美しさという、
相当抽象的な話題について、語ると言うことの難しさ(限界)を感じました。
ただ私は、渡辺篤史さんという見ることのプロフェッショナルが、
現代建築について、開高健さんと同じようなことを
痛切に感じておられるのではないかと思いました。

以下は、1977年に開高健さんがブラジル・アマゾンを釣り紀行したオーパという作品の一節です。

・・・・こうしてブラジリアはそこに、そのまま、おかれている。
今日も輝いている。まるで昨日生まれたばかりのように輝いている。
構造物たちはまだ細根も、地下茎も、気根も生やしていない。
しかし、建築物も人と同じように年齢を知らずにはいられないし、
体のあちらこちらにそれを分泌せずにはいられないものである。
これまでの木造建築や石造建築は
歳月や疲労がしるしづけられると同時に成熟の気品や威厳を身につけるすべを知っていて、
不断に育ちつづけて数世紀、十数世紀を生きぬいてきた。
しかし、現代建築というものはこれまで私が諸国で見聞をしたかぎりでは、
歳月と添寝することができないのである

デザインの流行が変わるから“時代遅れ”になってそうなるのではなく、
どうやら、もともとそんな体質や気質に生まれついていないのである。らしいのである。
どの傑作もちょっと歳月がたつとたちまち醜怪、卑小な不具者となってしまう。
ある年齢で成熟がとまってしまった美青年みたいなところがある。
美貌を保つためには自殺するしかない、
ある種の早熟な不具の美少女みたいなところがある。
一つとして例外なくそうであったといいたくなるほどである。
ニーマイヤーの傑作群は
年齢を知らずにここまでおかれたけれど、
いずれ遅かれ早かれ年齢を知りだしたとき、心ある人の眼から見れば、
いたましい不具者としか映らないようなものとなってしまうのではあるまいか。
過去をなくして生みおとされ、未来を知るすべを知らず、
ただ現在にありつづける―いつまでかは誰にもわからない
けれど―壮大、純潔だけれどついにはそういう存在でしかないのではないか。
人びとにできることといえば、
せいぜい毎日、精魂をこめて磨いてやることぐらいではないだろうか。・・・・・

 

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空間感覚 (H14.8.6)

ほの暗さの中には、無限や神性を感じさせるものがあります。
神社やお寺の奥のほうの部屋のしっくいの白ではなく、白のビニールクロスと蛍光燈では、
いくら登場人物が良くても「空間」の体験には繋がらないでしょう。
谷崎潤一郎の陰翳礼賛の影響もあるかな。

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公共建築 雑感(H14.6.28~7.3)(H19.3.31追記)

みんなの建築http://minken.arch.t.u-tokyo.ac.jp/arch/post4/

掲示板からの転載です。
ハンドルネーム-ズカルビさんの分も転載しています。
ご連絡の方法もありませんので、もし不都合があれば当方へご連絡ください。

 

 

                       ズカルビ NO1

日本を代表する「建築風オブジェ作家」である磯崎新がイタリア文化省前次官ズガルビ氏に
自分がフィレンチェで美術館に設計した玄関風オブジェの設計を
「口汚く非難され言葉の暴力で傷ついた」と謝罪要求
(さすが前文化省次官!しっかりした目を持ってる。ズガルビ氏に拍手!!)したが、
国内では奈義町民と静岡県民が
「醜悪なオブジェによって景観を破壊された上、
膨大な建築費・役に立たない施設の維持費の無駄金の税金からの支出を強要され経済的にも

損失を受けるなど、設計による暴力で傷ついた」と磯崎新に謝罪を要求した。
奈義町の現代美術館は「美術館」なのにろくに展示も出来ないという奇妙なオブジェ、
グランシップはJR東海道線の旧貨物操車場の跡地にある座礁したポンコツ船のようなデザインで、
双方あたかもバブルの海で座礁した経済といったイメージで
「バブルの無駄遣いのハコモノ」を象徴するものとして地域を越えて住民の怒りを買っている。
住民の一人は「磯崎さんは○△□▽×◇(聞くに堪えないほどの口汚い恨み辛み)」と話していた。
なおこの動きを受け、東京都民が丹下健三、愛知県豊田市民が黒川紀章に謝罪を要求する動きが

持ち上がっている。

HONDA NO1

このような失敗は、多分数えればきりがないと思います。
その失敗の原因は、次のようなものと考えています。
お役所という、「基本的人権と健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証をすればいい

部署が、集まりすぎた税金の使い道に困り、出資者である役所の担当者本人が、訳のわかって

いない「文化的」などという言葉につられて、中央省庁のひも付きの「コンサル」に色々な「企画」を

立ててもらい、それに予算が付く構造があった。
その「コンサル」には有名建築家がつくか、又はコンサル自身が有名建築家だった。
「文化的?」な物を地域住民に供給し、かつ、それを建設することにより、
地元の建設業が活性化するという一挙両得の計画に、うまくすれば、国の補助が70~80%もつく。
そんな良い話に、行政担当者自身は飛びつかないわけはないのです。
 基本的に、事業に出資する者は、資本主義の場合、その事業計画の成否に主たる責任を持ち、
成功した場合にはその利益を享受し、
失敗した場合はその損失を出資した資本の喪失(自己資本以上の喪失の場合は破産)という形で

弁済します。
 役所の担当者が、「企画」という巨大な事業の端緒である「器」の完成のみにしか責任を持たない、
いまの行政機構に大きな問題が内在しているのです。
数年後の会計検査までは、どきどきもするでしょうがそれが終わってしまえば、企画した者の責任は

完了です。
 委託されたコンサルや建築家自身も、その事業に責任を持ちません。
 そのような、無責任体制の中で、税金が浪費されていると推察します。

ただ、無駄などとばかりいっていたら、ピラミッド・万里の長城・法隆寺、などという歴史上の建造物は

なかったとも思いますが・・・。

もう一言、劇場ホール営業に関して、役所が「自主公演」などと称し、
手を出すこと自体が間違いのような気がしています。
元々は、「興行」という事業自体が、ばくちに近い商売であったもののような気がしますから。
そのような事業の成否が不確定なものに、税金を支出すること自体、疑問に感じています。

ズカルビ NO2

>ただ、無駄などとばかりいっていたら、ピラミッド・万里の長城・法隆寺、などという歴史上の

建造物はなかったとも思いますが・・・。

これらはそれが造られた宗教、軍事などの当時の歴史的背景から建てられたもので、
その当時は必ずしも「無駄」とは言えなかったでしょう。
ただし磯崎氏などは理由もなくただ「仰々しい」だけで、これは無題害の何者でもありませんね。

>訳のわかっていない「文化的」などという言葉につられて、
>「文化的?」な物を地域住民に供給し、
>もう一言、劇場ホール営業に関して、役所が「自主公演」などと称し、手を出すこと自体が

間違いのような気がしています。
元々は、「興行」という事業自体が、ばくちに近い商売であったもののような気がしますから。
そのような事業の成否が不確定なものに、税金を支出すること自体、疑問に感じています。

それ以上にソフトつまり「日頃の活動」が蔑ろにされ、「ハコモノ」ばかりに目がいっている

ということでしょう。
これは「文化」に限らず、「福祉」等他の公的施設にも当てはまります。

貴方のご意見は「建築デザイン」という狭い枠に囚われず
「行政」という視点から捉えようとしている点で大変興味深く拝読致しました。
この問題についてさら多くの人に関心を持っていただくためにもに
このような視点でさらに各分野の人たちを交えてマスコミ等の広く人の目に触れる場所で
議論を進めることは出来ないものでしょうか。

HONDA NO2

デザインに関して
「理由もなくただ「仰々しい」デザイン」は、時と場合よって、「シンボリックな」という賞賛に

変わるような気がします。
 見方によっては、城の天守閣・お寺の屋根・ガウディの建築も、訳もなく仰々しくありませんか。
 デザインの良し悪しは、何かもっと別の価値基準であるような気がします。

>この問題についてさら多くの人に関心を持っていただくためにも
にこのような視点でさらに各分野の人たちを交えてマスコミ等の広く人の目に触れる場所
で議論を進めることは出来ないものでしょうか。
 察するこのHPは、コンサルや有名建築家もとで働いていそうな人達も多そうなので、
読んで頂けるとありがたいと思っています。

ズカルビ NO3

>デザインに関して
「理由もなくただ「仰々しい」デザイン」は、時と場合よって、「シンボリックな」という賞賛に

変わるような気がします。
 見方によっては、城の天守閣・お寺の屋根・ガウディの建築も、訳もなく仰々しくありませんか。
 デザインの良し悪しは、何かもっと別の価値基準であるような気がします。

デザインはあくまでそれが造られる目的を考えた上で決められなければならないはずです。
特に城の天守閣のように本来の目的が現在失われたものや、
大聖堂の様な特殊な目的の建築のデザインをイメージだけで他の目的の建築に持ち込むのは

言語道断だと思います。

HONDA NO3

デザイン関して
>デザインはあくまでそれが造られる目的を考えた上で決められなければならないはずです。
特に城の天守閣のように本来の目的が現在失われたものや、
大聖堂の様な特殊な目的の建築のデザインをイメージだけで他の目的の建築に持ち込むのは

言語道断だと思います。

 サグラダ・ファミリアはその通りかもしれませんが、カサミラは、アパートとしては「仰々しい」

デザインだと思います。
事務所ビルとして日建設計のNSビルは、機能と形態を考え抜かれた良い建物だと思いますが、
それより「お役所(お上?)として仰々しく造った」デザインの都庁の方がデザイン的にも有名

なのではないかと思います。
 大きい規模のものはどうしても威圧的になってしまいがちです。
 京都駅ビルも、外観のグラフィックデザインとしては、サラッと見えるようにうまく作っているとは

思いますが、烏丸通りから見れば、60m(位だったと思う)の聳え立った屏風のような外観は、

いまだになじめません。
(内部空間は中央改札口の狭さを除いては、よく考えられた計画だと思います)
 大津市の旧琵琶湖ホテルは、
箱型の近代建築ではなく、昭和の始めの鉄筋コンクリート入母屋造りの建物ですが、
その形態ゆえに「市民に親しまれ」保存されることが決定しています。
それは、作られる目的と合致しなかったゆえに、残ることとなったと考えます。
 私は、「デザイン(形態)には、造られる目的を考えた上」、以外にも多くの要素があると

思っています。

話を本題に戻すと、
「役所が、市民の総意を結集した」はずのグランシップのプログラムに大きな問題が内在

するのでしょう。
 実験的ホールは、
エンターテイメント企業が、自社のノーハウとプログラムを結集して自前で造るものでしょう。
劇団四季のCATS専用の仮設劇場などがその好例だと思います。
恒久的な巨大なものなら、立地としては東京か大阪ぐらいしか考えられません。
いくら日本にひとつしかない施設でも、そのエンターテイメントを見るのに、
新幹線を使わないと行けない人々が数多くリピーターになることは考えにくいのではないでしょうか。
 京都駅ビルも、JRが「社会の要請と経営効率」を考えてあのような巨大なボリウムのプロジェクトと

なったのでしょう。
そのために、市役所の方でもMAX45mの最高高さの規制まで変更しています。
しかし、ホテルとホールは、そんなにうまくいっていないのではないかと思います、

伊勢丹はそこそこだと思いますが。
特に、ホールの方は、運営主体が二転三転し、開館・閉館を繰り返しています。
 奈義町は、失敗だったかもしれませんが、
利賀村の場合は、磯崎というスターアーキテクトを使って正解だったのではなかったでしょうか。
 トーキョウディズニーランドは成功していますが、
その他のテーマパークは、ほとんど死々累々という状況でしょう。
私は好きですが、日本設計で環境にも配慮した長崎ハウステンボスでさえも経営的には

大変そうです。
 建築デザインの質以上に、プログラムの質、
そして作ったからにはそれを破綻なく運営する計画緻密さ及びその実行力、
そのようなことを、考え、かつ、評価する必要を感じます。

ズカルビ NO4

>私は、「デザイン(形態)には、造られる目的を考えた上」、以外にも多くの要素があると

思っています。
そのことにあえて異議を唱えるつもりはありません。
しかし「造られる目的」を蔑ろにしたデザインを認めることは出来ません。

>「役所が、市民の総意を結集した」はずのグランシップのプログラム
静岡県民で「」内の言葉を納得出来る人は恐らくいないでしょう。
ちなみにグランシップで行われるコンサートはいずれも悪評で、
挙げ句の果てに「引田天功のマジックショー」「大相撲地方巡業」「物産展」等の
本来「産業会館」で行うイベントで誤魔化している有様です。
昨年劇団四季の「オペラ座の怪人」のロングラン公演が静岡で行われ、
大好評のため次回は「キャッツ」の公演も本決まりになりましたが、
いずれも会場は「静岡県が鳴り物入りで建てたグランシップ」ではなく20年以上前に

建てられた静岡市民文化会館です。

> 建築デザインの質以上に、プログラムの質、
そして作ったからにはそれを破綻なく運営する計画緻密さ及びその実行力、
そのようなことを、考え、かつ、評価する必要を感じます。

単なるハコだけを問題にするのではなく、
その前にその中身つまり日頃の活動(ソフト)にもっと関心を持たねばならないでしょう。

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故村野藤吾氏の設計製図展を見に行ったときの思い出(H14.6.8)

きれいに仕上られた繊細な吹き寄せ格子の建具図面の上に、
4B位の鉛筆で荒々しく、梅の枝と花のスケッチが、書かれていた図面を見たとき、
とてもこんな事務所は私は勤まらないなーと思いました。
向こうからも願い下げでしょうが。
新高輪プリンスホテルの客室の入口のアルミ鋳物の図面でした。

 

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