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2016年4月13日

なぜ、カタカナでマキノなの?

何故カタカナでマキノなの?という疑問を時々頂くことがあります。
今朝は、そんな話題をひとくさり。

「平成の大合併」というのは皆さんご存知だと思うのですが、「昭和の大合併」というのもあったそうです。

 そんな時代1955年(昭和30年)1月1日に、 海津村・剣熊村・西庄村・百瀬村の4ヶ村が合併して「マキノ町」が発足しました。当時の状況だと海津が町でそれ以外は、農村集落の集合体だったはずです。どういう名前付けるか揉めたんだろうとは、想像に難くない。旧百瀬村と西庄村の境界線の西庄側に町役場(現こども園)、百瀬側に西中学校(現マキノ支所)に配されたのを見ても、色んな綱引きがあったのは想像できます。そこで大正時代から開かれ、当時すでに京都方面からお客様が来ていた、旧西庄村牧野にあった「マキノスキー場」という「ブランド?」に乗っかって、カタカナのマキノ町という名前に命名したそうです。(町歩きガイドをしていても、70すぎの方で、子供の頃大津からスキー船に乗って、海津で一泊し朝からマキノスキー場でスキーを楽しんだ、っておっしゃる方時々おられます)どの旧村の名前も使わず、かつみんなが納得しそうな町名を発案した方は、中々のセンスだな―と私 思ってます。特に産業のある町ではなかった新生マキノ町に「これからは観光だ」みたいなビジョンのイメージのある名前の雰囲気も受けたのだと思いますし、その後の町政もその辺りに重点が置かれていたように思います。
その後、同じカタカナの(北海道)ニセコ町との、姉妹都市交流をすることになり、それは現在でも細々とではありますが続いています。
現在、「マキノ町」は行政区としてはなくなってしまいましたが、高島市内の住所名として、旧マキノ町地域は全て、高島市マキノ町※※、という形で存続し続けています。

 自治体の命名話でいうと、「高島市」も一悶着ありました。一旦は合併協議会で正式に「西近江市」に決まっていたのですが、反対の意見が多く寄せられ、住民投票をすることになり、その結果「高島市」に覆りました。一旦決めた市の名前が住民投票で覆された事例は、当時初めてで、その後もあまり聞いたことはありません。「平成の大合併」の頃、カタカナや東西南北を付けただけのヘンな市名がたくさんできる中、ニュースにもなりました。「高島」の言葉の由来は不明(だと思う)なのですが、文献的には古代律令制の時代、郡名として近江国高島郡が定められたとある、くらい古いもの。私は、覆って良かったなー、と思っています。

◎関連リンク びわ湖源流 ドット コム > 【高島市歴史散歩】 「スキー場の成立」

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