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2007年8月15日

8/15父や戦争の事などを

8月15日なので、大正15年生まれの父のことなどを。
既に他界して5年になりますが、
なくなってから、色々初めて見た手紙などがありました。
そこで私は父が、相当な「軍国少年」だったことを知りました。
15・6歳、遠方での一人暮らし(多分軍需工場)の時代、
何通かの父親(私からすれば祖父)にあてた手紙は、
お国のためにがんばる決意の表明がいつも綴られていました。
逆に、父親からの手紙は、あまり無理せず、無事ですごせ、というような文章でした。
当時としては、珍しいと思われる50歳位の初めての一人っ子の息子であったから
当然といえば当然のことだろうと思います。
戦後でも、宮家の慶事の新聞の写真の特集ページが沢山まとめて残されていました。
軍隊での友人とは、なくなるまで年賀状の交換が続いていました。
その方への年末の喪中の葉書には、ご丁寧な自筆の文章と香典が返送されてきました。
そんな父ですから、私が戦後の「民主」教育をされていくことを快くは思っていなかったようです。
「一度、戦争を始めた日本が悪い。」というようなことを言ったら、
「今の時代(私の中学生の、高度成長期といわれる頃)を作ったのは、
全て、先の時代の苦労の賜物や、それがわからんか。
そういうことも教えんような社会の先生の方が悪い。」
と烈火のごとく怒って、まくし立てられたことがあります。
当時は何で怒っているのかもうひとつピンと来なかった
それほど戦後の民主教育史観に毒されていた、私でした。

それに比べ、本当に現在の日本は幸せな時代といってもいいのではないかと思います。
私の10年前の年賀状にはこんなことを書きました。
あと2ヶ月で40、小5・小2・年中組の3人の子持ちの父親。
データから見れば、まぎれもない「おじさん」ですが、
高専でポールルドルフのペン画のパースを眺めていた時から、
少しも変わったような気がしません。
子供がリバイバルの「年下の男の子」を歌っていたり
「勝手にシンドバッド」が「愛の言霊」になっただけで
文化的ギャップが少ないため、余計にそう感じるのかもしれません。
そしてそれは、
子供達とも文化を共有できる、平穏なよい時代を過ごしている証拠かもしれません。

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竹内まりあ・松本隆と小田実(MYブログ07/07/28)
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