公共建築 雑感(H14.6.28~7.3)(H19.3.31追記)
みんなの建築http://minken.arch.t.u-tokyo.ac.jp/arch/post4/
掲示板からの転載です。
ハンドルネーム-ズカルビさんの分も転載しています。
ご連絡の方法もありませんので、もし不都合があれば当方へご連絡ください。
ズカルビ NO1
日本を代表する「建築風オブジェ作家」である磯崎新がイタリア文化省前次官ズガルビ氏に
自分がフィレンチェで美術館に設計した玄関風オブジェの設計を
「口汚く非難され言葉の暴力で傷ついた」と謝罪要求
(さすが前文化省次官!しっかりした目を持ってる。ズガルビ氏に拍手!!)したが、
国内では奈義町民と静岡県民が
「醜悪なオブジェによって景観を破壊された上、
膨大な建築費・役に立たない施設の維持費の無駄金の税金からの支出を強要され経済的にも
損失を受けるなど、設計による暴力で傷ついた」と磯崎新に謝罪を要求した。
奈義町の現代美術館は「美術館」なのにろくに展示も出来ないという奇妙なオブジェ、
グランシップはJR東海道線の旧貨物操車場の跡地にある座礁したポンコツ船のようなデザインで、
双方あたかもバブルの海で座礁した経済といったイメージで
「バブルの無駄遣いのハコモノ」を象徴するものとして地域を越えて住民の怒りを買っている。
住民の一人は「磯崎さんは○△□▽×◇(聞くに堪えないほどの口汚い恨み辛み)」と話していた。
なおこの動きを受け、東京都民が丹下健三、愛知県豊田市民が黒川紀章に謝罪を要求する動きが
持ち上がっている。
HONDA NO1
このような失敗は、多分数えればきりがないと思います。
その失敗の原因は、次のようなものと考えています。
お役所という、「基本的人権と健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証をすればいい
部署が、集まりすぎた税金の使い道に困り、出資者である役所の担当者本人が、訳のわかって
いない「文化的」などという言葉につられて、中央省庁のひも付きの「コンサル」に色々な「企画」を
立ててもらい、それに予算が付く構造があった。
その「コンサル」には有名建築家がつくか、又はコンサル自身が有名建築家だった。
「文化的?」な物を地域住民に供給し、かつ、それを建設することにより、
地元の建設業が活性化するという一挙両得の計画に、うまくすれば、国の補助が70~80%もつく。
そんな良い話に、行政担当者自身は飛びつかないわけはないのです。
基本的に、事業に出資する者は、資本主義の場合、その事業計画の成否に主たる責任を持ち、
成功した場合にはその利益を享受し、
失敗した場合はその損失を出資した資本の喪失(自己資本以上の喪失の場合は破産)という形で
弁済します。
役所の担当者が、「企画」という巨大な事業の端緒である「器」の完成のみにしか責任を持たない、
いまの行政機構に大きな問題が内在しているのです。
数年後の会計検査までは、どきどきもするでしょうがそれが終わってしまえば、企画した者の責任は
完了です。
委託されたコンサルや建築家自身も、その事業に責任を持ちません。
そのような、無責任体制の中で、税金が浪費されていると推察します。
ただ、無駄などとばかりいっていたら、ピラミッド・万里の長城・法隆寺、などという歴史上の建造物は
なかったとも思いますが・・・。
もう一言、劇場ホール営業に関して、役所が「自主公演」などと称し、
手を出すこと自体が間違いのような気がしています。
元々は、「興行」という事業自体が、ばくちに近い商売であったもののような気がしますから。
そのような事業の成否が不確定なものに、税金を支出すること自体、疑問に感じています。
ズカルビ NO2
>ただ、無駄などとばかりいっていたら、ピラミッド・万里の長城・法隆寺、などという歴史上の
建造物はなかったとも思いますが・・・。
これらはそれが造られた宗教、軍事などの当時の歴史的背景から建てられたもので、
その当時は必ずしも「無駄」とは言えなかったでしょう。
ただし磯崎氏などは理由もなくただ「仰々しい」だけで、これは無題害の何者でもありませんね。
>訳のわかっていない「文化的」などという言葉につられて、
>「文化的?」な物を地域住民に供給し、
>もう一言、劇場ホール営業に関して、役所が「自主公演」などと称し、手を出すこと自体が
間違いのような気がしています。
元々は、「興行」という事業自体が、ばくちに近い商売であったもののような気がしますから。
そのような事業の成否が不確定なものに、税金を支出すること自体、疑問に感じています。
それ以上にソフトつまり「日頃の活動」が蔑ろにされ、「ハコモノ」ばかりに目がいっている
ということでしょう。
これは「文化」に限らず、「福祉」等他の公的施設にも当てはまります。
貴方のご意見は「建築デザイン」という狭い枠に囚われず
「行政」という視点から捉えようとしている点で大変興味深く拝読致しました。
この問題についてさら多くの人に関心を持っていただくためにもに
このような視点でさらに各分野の人たちを交えてマスコミ等の広く人の目に触れる場所で
議論を進めることは出来ないものでしょうか。
HONDA NO2
デザインに関して
「理由もなくただ「仰々しい」デザイン」は、時と場合よって、「シンボリックな」という賞賛に
変わるような気がします。
見方によっては、城の天守閣・お寺の屋根・ガウディの建築も、訳もなく仰々しくありませんか。
デザインの良し悪しは、何かもっと別の価値基準であるような気がします。
>この問題についてさら多くの人に関心を持っていただくためにも
にこのような視点でさらに各分野の人たちを交えてマスコミ等の広く人の目に触れる場所
で議論を進めることは出来ないものでしょうか。
察するこのHPは、コンサルや有名建築家もとで働いていそうな人達も多そうなので、
読んで頂けるとありがたいと思っています。
ズカルビ NO3
>デザインに関して
「理由もなくただ「仰々しい」デザイン」は、時と場合よって、「シンボリックな」という賞賛に
変わるような気がします。
見方によっては、城の天守閣・お寺の屋根・ガウディの建築も、訳もなく仰々しくありませんか。
デザインの良し悪しは、何かもっと別の価値基準であるような気がします。
デザインはあくまでそれが造られる目的を考えた上で決められなければならないはずです。
特に城の天守閣のように本来の目的が現在失われたものや、
大聖堂の様な特殊な目的の建築のデザインをイメージだけで他の目的の建築に持ち込むのは
言語道断だと思います。
HONDA NO3
デザイン関して
>デザインはあくまでそれが造られる目的を考えた上で決められなければならないはずです。
特に城の天守閣のように本来の目的が現在失われたものや、
大聖堂の様な特殊な目的の建築のデザインをイメージだけで他の目的の建築に持ち込むのは
言語道断だと思います。
サグラダ・ファミリアはその通りかもしれませんが、カサミラは、アパートとしては「仰々しい」
デザインだと思います。
事務所ビルとして日建設計のNSビルは、機能と形態を考え抜かれた良い建物だと思いますが、
それより「お役所(お上?)として仰々しく造った」デザインの都庁の方がデザイン的にも有名
なのではないかと思います。
大きい規模のものはどうしても威圧的になってしまいがちです。
京都駅ビルも、外観のグラフィックデザインとしては、サラッと見えるようにうまく作っているとは
思いますが、烏丸通りから見れば、60m(位だったと思う)の聳え立った屏風のような外観は、
いまだになじめません。
(内部空間は中央改札口の狭さを除いては、よく考えられた計画だと思います)
大津市の旧琵琶湖ホテルは、
箱型の近代建築ではなく、昭和の始めの鉄筋コンクリート入母屋造りの建物ですが、
その形態ゆえに「市民に親しまれ」保存されることが決定しています。
それは、作られる目的と合致しなかったゆえに、残ることとなったと考えます。
私は、「デザイン(形態)には、造られる目的を考えた上」、以外にも多くの要素があると
思っています。
話を本題に戻すと、
「役所が、市民の総意を結集した」はずのグランシップのプログラムに大きな問題が内在
するのでしょう。
実験的ホールは、
エンターテイメント企業が、自社のノーハウとプログラムを結集して自前で造るものでしょう。
劇団四季のCATS専用の仮設劇場などがその好例だと思います。
恒久的な巨大なものなら、立地としては東京か大阪ぐらいしか考えられません。
いくら日本にひとつしかない施設でも、そのエンターテイメントを見るのに、
新幹線を使わないと行けない人々が数多くリピーターになることは考えにくいのではないでしょうか。
京都駅ビルも、JRが「社会の要請と経営効率」を考えてあのような巨大なボリウムのプロジェクトと
なったのでしょう。
そのために、市役所の方でもMAX45mの最高高さの規制まで変更しています。
しかし、ホテルとホールは、そんなにうまくいっていないのではないかと思います、
伊勢丹はそこそこだと思いますが。
特に、ホールの方は、運営主体が二転三転し、開館・閉館を繰り返しています。
奈義町は、失敗だったかもしれませんが、
利賀村の場合は、磯崎というスターアーキテクトを使って正解だったのではなかったでしょうか。
トーキョウディズニーランドは成功していますが、
その他のテーマパークは、ほとんど死々累々という状況でしょう。
私は好きですが、日本設計で環境にも配慮した長崎ハウステンボスでさえも経営的には
大変そうです。
建築デザインの質以上に、プログラムの質、
そして作ったからにはそれを破綻なく運営する計画緻密さ及びその実行力、
そのようなことを、考え、かつ、評価する必要を感じます。
ズカルビ NO4
>私は、「デザイン(形態)には、造られる目的を考えた上」、以外にも多くの要素があると
思っています。
そのことにあえて異議を唱えるつもりはありません。
しかし「造られる目的」を蔑ろにしたデザインを認めることは出来ません。
>「役所が、市民の総意を結集した」はずのグランシップのプログラム
静岡県民で「」内の言葉を納得出来る人は恐らくいないでしょう。
ちなみにグランシップで行われるコンサートはいずれも悪評で、
挙げ句の果てに「引田天功のマジックショー」「大相撲地方巡業」「物産展」等の
本来「産業会館」で行うイベントで誤魔化している有様です。
昨年劇団四季の「オペラ座の怪人」のロングラン公演が静岡で行われ、
大好評のため次回は「キャッツ」の公演も本決まりになりましたが、
いずれも会場は「静岡県が鳴り物入りで建てたグランシップ」ではなく20年以上前に
建てられた静岡市民文化会館です。
> 建築デザインの質以上に、プログラムの質、
そして作ったからにはそれを破綻なく運営する計画緻密さ及びその実行力、
そのようなことを、考え、かつ、評価する必要を感じます。
単なるハコだけを問題にするのではなく、
その前にその中身つまり日頃の活動(ソフト)にもっと関心を持たねばならないでしょう。
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