こんな所に岡本太郎が生きていた
昨日は、息子の就職のことで、吹田市へ。
道を歩いていたら、ひょっと下水道のマンホールが目に付いた。
こんな所に、1970大阪万博の太陽の塔が生きていた。
吹田市の、永遠に残る岡本太郎氏の作品。
物は滅びるかもしれないが、インパクトのある作品は、それにまつわるイメージと共に、
様々な形に残り、継承されて行く。
お祭り広場や、その太陽の塔に穴を開けられたメガトラスの大屋根が
当時既に巨匠であった丹下健三と有名な構造設計の大家坪井善勝
そして若き日の磯崎新等の作品であったことは、ほとんどの人々の頭には残らない。
ただ、このマンホール蓋の太陽の塔は、「爆発」してません。
本物は、お祭り広場のメガトラスの屋根を突き破ってすくっと建っていましたが、
ここでは、キレイに円形の中に納まっています。
関連リンク
◎太陽の塔(個人の方のページ)
◎月刊・お好み書き 2000年6月号 特別寄稿 太陽の塔について考えること
◎岡本太郎記念館
◎川崎市岡本太郎美術館
◎懐かしの大阪万博 EXPO70 日本万国博覧会 EXPO
◎70年万博タイムスリップ | 独立行政法人 日本万国博覧会記念機構
◎日本万国博覧会会場マスタープラン日本KTA : 丹下健三・都市・建築設計研究所 作品
◎EXPOSE2002 夢の彼方へ ヤノベケンジ×磯崎新
◎技術と芸術の融合した建築構造の最前線(丹下健三+構造設計坪井善勝の作品群)
ブログランキング、ポチッと一つお願いします。
以下は、私の仕事のコマーシャル
◎ほんだ建築工事進捗ブログ (滋賀咲くBlog 内の会社のブログ)
◎土地込み940万円のセカンドハウスのプランを作りました(インフォメーション08/04/02)
◎住宅・セカンドハウスは、随時ご案内(室内も)出来ます(インフォメーション08/02/11)
◎ほんだ建築トップページへはこちらから
地域特性に造詣の深い地場の工務店や設計士を見直して頂ければと思います。地場で仕事が
完結すること自体、ヒトやモノの移動エネルギーが少なくてすむ環境負荷の少ない選択であり、
かつ 住宅建築は個人ができる身近でとても大きな地域振興でもあります。 また、地元で
長く仕事を続けられているということこそが品質をおろそかにしなかった証拠ではないでしょうか。
☆☆ とりあえず、ハウスメーカーを選択肢から外して、家作りを考えてみませんか ☆☆