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2005年11月25日
姉歯さん
構造計算偽装問題は私に色々な感慨を与えます。
建築士の「士」という身分について
「士」は武士の「士」だと思います。
「葉隠」の中の有名な一節に
武士道とは死ぬ事に見つけたり、という言葉があります。
陸軍の下士官は「進め」という号令を発しなければならない、状況があります。
そのとき、その号令で進んだ人間のうち何人かは死ぬかもしれません。
しかし、その号令を発しなければ、
小隊や、もしくは部隊全体に大きな被害をもたらすそんな場合もあります。
そんな状況の中での決断は常に理念的には「切腹」という自己の責任において
決断すべきことである、という意味に解釈しています。
人の上にたつ人や、それなりの責任を与えられた人間の心構えとして
非常に重要な一節です。
一つの不心得がどんなに深く社会へ影響してしまうのか、
そんな事が感じられる出来事です。
最初、姉歯さんがテレビに出たとき、なんと厚顔無恥な人かと思いました。
その後の経緯を私なりに捉えると、
今では、彼はあの時、テレビの前で「懺悔」したのではないかと思っています。
これでもう欺瞞の積み重ねをしなくて済む、
少なくともコレで、地震が起こったときの死者が少なくて済む、
そんな思いが、妙に晴れ晴れとした表情に出てしまったのではないか、ということです。
しかし、それは建築「士」として許される事ではありません。
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